紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

今回、はてな今週のお題が「これ、うちのおかんだけ?」
さあ。どうしましょう。
悩みました。まだ、おもしろおかしく、母を振り返る余裕が、ないみたいなんです。
今回のお題は、お休みしようかな、とか。
何度も書き直して、いろいろ考えて。

そして今回は、お題とは少し違ってしまうけれど、母のことについて
すこし 書いてみようかなと思いました。

母って、不思議な存在ですよね?そうでもない?
小さな子供の頃って、母は、なんでも解決できる存在のように思えました。
転んでひざをすりむいて痛い時
「お母さん、痛いよう」って泣けば、
お薬をつけてくれて。「大丈夫よ」と言ってもらえれば、もう大丈夫な気がしました。
お腹が痛くなった時も
「お腹が痛いよう」って訴えれば、お医者さんに連れて行ってもらって
お薬をもらって、治るって思っていました。
お腹がすいたら「お母さん、お腹がすいたよう」
喉がかわいたら「お母さん、のどがかわいたよう」
こんなふうに言えば、「ご飯作るから待ってね」とか
「お茶をあげますよ」とか、
母はいつでも応えてくれました。

困ったら助けてくれる。
母親って、そんな存在でした。
だからほんの小さな頃、困ったことがあると心のなかで「おかあさん」って、
母を呼んでしまっていました。そんな経験、ありませんか?

それが、中学になるころには、母親のいろいろなところが気になって。
あんなところが嫌だな、とか、こんなところは似ていたくないな、とか思うようになりはじめました。
反抗期だったのでしょうね。
母親にも解決できない悩みが、自分の中にいっぱい出てきて
いつの間にか、母親に頼る以上に、母親からの束縛から逃れたいと思うようになりました。

それでも、心のどこかで、頼っていました。
お母さん、お腹がすいたから、お母さんが作ってくれる御飯が食べたいよ。
お母さん、少し寂しいから、近くにいて欲しいよ。
少しだけ、話を聞いてほしいよ。

そんなふうに、どこかでやっぱり、頼っていたように思います。

高校の時に、母が病気で倒れて入院をしました。
毎日の食事の支度、掃除、洗濯。いろいろなことが、どん、と自分にのしかかってきて、はじめて、母が何をしてくれていたのかが、わかりました。
病院にお見舞いに行けば、母は、
「大丈夫よ。三食昼寝付きで、楽々、天国」なんて言っていましたっけ。
あら、そういえば、この前私が入院した時に娘に行った台詞と一緒だわ(苦笑)
この頃は、「母が死ぬ」ということが、リアルに感じられて
とても、とっても怖かったです。

「母が死ぬ」
それは、未成年だった自分にとっては、今の世界が終わることのように、恐ろしくて、考えることさえ苦しかったことでした。

やがて、結婚して、子供が生まれ。
自分が母になりました。

子供が生まれた日の朝
とても嬉しかったのです。

子供を胸に抱くことができるのがとてつもなく、幸せでした。

お乳を飲み、私の腕に抱かれていた子供は、やがて、立ち上がり、一人であるくようになりました。
でもまだ、よちよちと歩いていて、手をつないで歩きました。
今は、子供も大きくなり一人で、どんどんと歩いてゆくようになりました。
子供はいつか、母の手をふりはらって、
自分の世界へと飛び立って行く。
それを知りながら、
母として、子供の成長を喜ばずにはいられない。
いつまでも、いつまでも、この腕に抱いていたいけれど
それ以上に、この手を振り払って、世界へと飛び出してゆくのを
願っている。

そうして子供の幸せを願ってしまう。
一抹の寂しさを感じながらも。

いつまでも子供を手のひらのなかにいれておくわけにはいかない。
いつか、自分の力で生活をし、自分の世界を持ち、自分の足で歩いてゆくことを
子供には願わずにいられない。
困った時に「おかあさん」と心の内で叫ばなくても よくなるように。

今は母として、それを願います。

さて、まとまりのない文章になりました。
お題とはずいぶん違うものになってしまいました。

いろいろ書き直したけれど、今はこんな文章しか書くことができないから。

本の紹介は、お題にそったもので。やはりこれ、でしょう(*^_^*)

あたしンち 1

あたしンち 1

言わずと知れた。おかあさんを書いた名作まんが。
まさに、今回のブログネタにぴったり!
以前アニメ化もされているので、ご存じの方も多いでしょうね。
ご存じではない方、よろしければ、是非手にとってみてください。
「これ、うちのオカンだけ?」というネタが、てんこもり。
母への愛情を感じる漫画です(笑)