チャイコフスキー、交響曲
チャイコフスキーは、とても好きな作曲家のひとりです。
自分が初めて、おこづかいで購入した交響曲のCDは、
チャイコの交響曲6番でした。
チャイコの6番を聴いて、ひどく感動したのです。
魂の奥の哀しみに触れるような音楽で。
笑顔の裏側に潜む涙を、「わかっている」と言われた気がして。
CDが擦り切れてしまうのではないかと思うほどに
何度も繰り返し聴いたのを覚えています。
少し前は、チャイコの交響曲5番にハマっていました。
うちの猫もこの曲が好きで(笑)
猫と遊びながら聴くBGMにしていました。
最近、チャイコの4番にはまっています。
優しさも、ロマンティックさもあるのに、
魂が疲弊したような音楽のように思いました。
何故なのかな?
そう思って、いろいろネットを見ていて
こんな解説を見つけました。
http://www.asahi-net.or.jp/~wg6m-mykw/Library_Tchaikovsky_Sym4.htm
そっか〜。
「言葉が終わるところで音楽が始まる」ハイネ
は
なんとも、良い言葉ですね。
言葉が尽きるところで、音楽が始まる、と訳したら駄目なのかな?
原文から外れちゃうのかな?
原文、知らないからなあ(^^ゞ
やっぱり、終わる、なのかな?
眠くなってきました。
いつにも増して支離滅裂です。
最近、ずっと、喪中はがきを書いています。
母が「喪中はがきを書くのは、傷口に塩をぬるような行為に思える」と
生前言っていたのを、思い出しました。
喪中はがきの代わりに、クリスマスカードを書いたら、
駄目なのかしらん?
少しは明るい気分になれる気がするのだけれど。
許されないでしょうね(苦笑)
今のような、睡眠と覚醒の狭間のような時
目覚める前のほんの一瞬だったり
うとうとしてしまった、ほんのわずかな時間に
突然母がまだ生きていて、そこにいるような気配を
感じるような気がすることがあります。
不思議ですね。
最近チャイコばっかり聴いていたから
少し感傷的なのかもしれません。
明日から、ラフマニノフにしようかな(←チャイコと変わらん気がする…)