紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

高校の頃に。

先日、とても久しぶりに
さだまさしさんの「防人の詩」を聴く機会がありました。

防人の詩、ご存知でしょうか?



高校生の頃に、ずいぶん繰り返し聴いた歌でした。
カセットテープが擦り切れてしまうほどに。

高校の頃は、
いくつもの死と向き合う日々でした。

一年の時に、ずっとかわいがっていた愛犬が
病になりました。
何度も病院に連れてゆき、看病をしましたが
もう手遅れだったとのことでした。
弱ってきた犬は
なかなかごはんを食べようとしません。
それが辛くて辛くて。
なんとか食べてもらおうと、説得したのです。
そうすると、少し食べてくれました。

彼(犬)が空へと旅立って行ってしまった頃

祖母が癌になりました。
手術でお腹を開いたものの
まったくの手遅れで、何もできずにお腹を閉じました。

祖母は、それから絶対に病院に行かないと言うので
お医者様に往診していただきながら
最後まで、自宅で暮らしました。

末期がんの祖母を、ずっと家で看るのは
決して簡単なことではありませんでした。
痛みを訴える祖母に、お医者様が点滴をしてくださいました。
食べられなくなってきた祖母に、栄養の点滴もしていました。
その点滴が、祖母をトイレに連れていった時に
逆流してしまったりすると、祖母の赤い血が点滴の管を染めました。
点滴の仕組みさえよくわかっていなかった自分は、酷く焦って
どうしていいのかわからなくなり、何度も泣きたくなりました。
(だんだん、点滴の扱いもできるように
 なりました)

祖母の世話に疲れ切った母が
泣き叫ぶのを、宥めたり
時には、祖母の世話に疲れ切った母のかわりに
家の家事をしたりしていました。

高校の頃の友人たちは
不思議なほど、自宅の家事担当をしている子が多く
(たぶん、そんな人達と仲良くなったのでしょう)
昼休みに、友人たちと、夕飯の献立を考えたりしていました。

誕生日に何が欲しい?と言う話をしていると
「全自動洗濯機」とか←当時は二層式洗濯機で、けっこう手間だった。
「誰か掃除を代わってくれる券」とか
「勉強する時間が欲しい」とか(^_^;)
君たち、本当に高校生か?という会話もしていましたっけ……。


秋になったころ、酷く弱ってきた祖母は
「今日は友達がお迎えにきたよ」と言うようになりました。
「今日は○○さんが来た」
「今日は、△△さんが来た」と。

そんなこと言い始めて数日の後
「今日は、お婆さんが来た。そろそろ、本当に行かなければいけない」
そして
「今日は、お母さんが迎えに来たよ。もう私は行くからね」と言ったのです。

祖母の兄弟姉妹、親戚、友達、たくさんの人が来てくださいました。
祖母は、枕もとに集まったたくさんの友人知人、兄弟姉妹に囲まれ
ひとりひとりに
「ありがとう」とあいさつをしました。
そして
「じゃあ、行くね」と、旅立ってゆきました。
荘厳な死だったと誰もが言いました。

私は立ち会えませんでした。
学校に行っていたのです。

その日「学校に、行きたくない」という私に
両親は「行きなさい。どんな時でも、自分のやるべきことをしなさい」と
学校に送り出しました。


祖母の死、そして葬儀、四十九日と過ぎた後、今度は母が倒れ
そのまま入院しました。
そして、医師から
母がこのまま死ぬかもしれないこと。
そして、大丈夫だったとしても、、よくない病であること。
いずれ命を落とすことを、知らされました。

高校生の自分にとって、
自分の母親の死は
先日祖母を看取ったと言っても
それでもまだ
あまりにも、信じられないことでした。

世界が崩れ落ちるかと思うほどの衝撃でした。

幸い母は、命を取りとめ
その後最近まで、ずいぶん長く病と闘ってくれました。

こんな毎日だった高校生の頃
不思議なほど、死は身近にありました。

生きること、老いること、病にかかること、死ぬことを考え
いつか自分も、老い、病にかかり死ぬことを
思わずにはいられませんでした。
眠れない夜を、いくつも重ねました。
(宿題が終わらなくて、眠れなかった夜も多かったのですけれど)


そんな頃に、何度も繰り返し聴いたのが
さだまさしさんの、この歌でした。


とても久しぶりにこの歌を聴き
酷く懐かしかったです。

暗い話になったので
もうひとつこの歌も。

一緒に聴いていたので。
同じくさだまさしさんで、「風に立つライオン

音楽に、助けられた日々でした。