紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

緩和ケア病棟に父が入って、10日以上が経ちました。
とても多くの心遣いがされている病棟です。

完全個室。それも、ずいぶん広いお部屋です。
全ての部屋は中庭に面していて
大きな窓から、いつも、花々の咲くお庭を眺められます。
一階、平屋建て。
中庭に面して、テラスになっており
ベッドごと、テラスに出ることも可能です。

中庭は、最近、小さな子供たちが、よく遊んでいます。

夜には、今の季節、さくらが、ライトアップされているのが、
部屋からよく見えます。

食堂では、ボランティアさんが、
毎日お茶タイムになると
コーヒー、紅茶、日本茶のどれかをふるまってくださいます。
音楽療法の方が来てくださった時には
電子ピアノを弾いてくださるそうです。
(まだ出会ったことは、ありません)

小さな教会のような、ステンドグラスに囲まれた
瞑想室があり、出入り自由です。

とても静かで、美しいところです。
曜日によっては、聖歌隊の方も来てくださるそうです。
(まだ、出会ったことは、ありません)

看護婦さんたちは、いつも静かで
とてもにこやかです。

駐車場からは、一般の外来や病棟とは別の
花々に囲まれた小径を通って
緩和ケア病棟に行くことができます。

以前も書きましたが、ペットとの面会も可能です。

半分、天国に来てしまったかのように
快適です。

そこで、今父は、
毎日、闘っています。

痛みは、薬で取っていただけます。
でも、呼吸の苦しさ、
日々痩せてゆき、筋力が落ちてゆき
毎日、少しずつ、ひとつずつ、できないことが増えてゆく。
その苦しみは、誰も救うことができません。

体力のある父だからなのか
気力のある父だからなのか
看護婦さんも
お医者さんも
驚くほど、頑張ってくれています。

死を、日々見つめる時間が続いています。

姉も、私も、
気が付けば、とても短い言葉で
会話しています。

不思議なほど、心が動かなくなっています。

いや、動く時には、あまりにも激しく動くのです。

だからこそ、平静を保つために
日常生活を、
死と切り離された
生の世界で適応するためにも

心に、半ば蓋をするかのように
固く、扉を閉ざして
今の時間、やるべきことをして
なすべきことをするために。



父の、手も足も
とてもとても、細くなり、
間違ったら折れてしまいそうです。

痛むという場所をさするのですが
もう、骨をさすっているような感覚です。

わずかに残っている、筋肉の部分が
固く凝り固まっており
そこを、そっとさすると
気持ち良いのだそうです。

ほんの少し、ほんの少し残っている筋肉が
毎日、少しずつ減ってゆきます。

死と向き合うというのは
喪失と向き合うことであり
身体だけではない
心の痛みと向き合うことであり

色濃くある生が
不思議なほどに、そぎ落とされてゆき
白と黒の、色を失った世界へと
戻ってゆくような
そんな感覚があります。

今は、私自身も、
文字を見ることも
音楽を聴くことも
うっとおしく感じてしまうことがあります。

なぜこの文章を書こうと思ったのか。
なぜこの文章だけ書けるのか。

たぶん、誰かに理解してもらおうと思っていないからかもしれません。
今の自分を、表しておきたかったのかもしれません。