紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

良い音楽とは何だろう

最近よく考えるのが
「よい音楽とは何だろう?」

いやね(笑)そんなこと考えても仕方ないのですけれどね(笑)

音楽を聴きにいって
「素晴らしいなあ。素敵だなあ」と思うときと
「う〜〜〜〜ん?」と思うときと
だんだん出来てきてしまったのです。

それは、単なる「好き、嫌い」だけではないなあとも
思い始めています。

というのも
「この音楽、すっごく綺麗でうまいと思うけど
好きじゃないなあ」とか
「いまひとつ上手いとは思えないけど、好きだなあ」とか
そう思うこともあるからです。

「うまいなあ」と思う基準と
「好きだなあ」と思う基準と
どうやらあるようです。

「好きだなあ」という基準は
もう、個人の趣味の問題ですから、
それは、考えても仕方ないなあと思います。
とりあえず。

では「うまいなあ」と思う基準は何なのかな?と考えますと

①音
②和声をどんなふうに処理しているか
③各声部をどのように演奏しているか
④間の取り方、音楽の呼吸はどうなっているか

などなど聴いているんだろうなあと
漠然と思うのですが(;´・ω・)
どうもこのひとつひとつは、最後は
「趣味」としか言いようのないものもある気がしてきてしまって。

例えば、ですが

何がうまいと思うかは、その人がどんな音楽教育を受けてきたかに
よってしまうのではないだろうかと

思ってしまったりもするのです。

音楽教育の価値観で
上手い下手も変わってしまうのかなあ?と。


子供の頃のピアノの先生は
とにかく「一音一音はっきりと弾くこと」を目指されていました。
鍵盤の底まできちんと打鍵すること。
指を高くから振り下ろすこと。
そう指導されてきたのです。

が。
大人になって習ったピアノの先生は

「音を並べないこと」
鍵盤のどこまで、どの角度で、どのように打鍵するかで
音色が変化するので、いろいろ自分なりに工夫して打鍵すること。
雑音が出ないように、鍵盤に指を置いてそこから打鍵してよいこと。
指をねかせて弾く音、立てて弾く音は違うので
場合によって使い分けること。
きちんと楽譜と向かいあって、譜面を読み込んで
どこに終止形があるとか
和音がどうなっているとか
考えたうえで、そのように弾くこと。
でも、やりすぎて、全体の流れを止めないこと。
感情のままに弾かないこと。
全体の構成も考えて、同じフレーズを同じように弾くことがないこと。
ピアノであっても、オーケストラに近い作りの曲もあるので
たとえばここはフルートの音色とか、ここはチェロの音色とか
音色を弾き分けることとか
ショパンの音とベートーヴェンの音と、モーツアルトの音は違うから
弾き分けること。

などなどなど。

とにかく、弾き方も、音楽への取り組み方も
まったく違って、はじめはすごく戸惑いました。

その教育の違いで、たぶん聴いたときの感想は
絶対に違ってくると思うのです。

でもって、もう一度です。
「よい音楽とは何だろう」

ん〜〜。わからねえ(;^_^A

簡単にわからなくていいから、ごたごたと考え続けてみたいと
思っています。

あ、でもね、ひとつだけ思うのは
子供を叩いて貶して、心の中ズタボロにした上で
「あなたのために怒っているのよ」とか言って
指導するのだけは、嫌だなああ。