紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

ロシア

毎日寒い日が続きますね。
今週のお題は「さむい」だそうです。

寒いのは、本当に苦手です。
ついつい、なるべく外に出ずに、家の中で音楽を聴いたり本を読んだりして
しまいます。

この前の夏、暑さにうだりながら
ラテンアメリカ文学に浸りました。
これがなかなか気持ち良くて(笑)
うだる暑さと湿度に「なんかもう、何も考えられない」とぼんやりしながら
熱気を帯びた、気怠いけれどどこか底抜けな明るさと影を持つ
ラテンアメリカ文学を読む。
いいです。また次の夏は、ラテンアメリカ文学の続きを読みたいと思っています。

で、冬。夏がラテンアメリカなら、冬はロシアでしょう。
と単純すぎる発想になり(苦笑)
この冬は、ロシア文学&ロシア音楽に
浸っております。

外は寒風吹きすさぶ中
温かな家の中でラフマニノフを聴きながら
ぽかぽかの紅茶を飲み
ドストエフスキーを読む。

とてもリラックスできます(*^_^*)

今読んでいるのは、ドストエフスキーの「罪と罰
感想は、読書メーターに書くとして。

読んでいて、気になったことがあります。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でも思ったのですが
登場人物がよく「語る」のです。
自分の生い立ち、今の状況など、数ページにも及ぶ「語り」が入る。
あ、この感覚、どこかで知っていると思って考えていて、思い当りました。
「舞台演劇」です。
演劇にかぎらず、オペラでも、バレエでもいい。
登場人物の見せ場で、オペラならアリアを歌うし、
バレエではパ・ド・ドゥを踊ったりする。
ドストエフスキーの小説も、同じようなリズム、感覚なんです。
見せ場になると、登場人物が、語る語る。
二人の見せ場だと
一人が語り、次の人が語り、二人の丁々発止のやりとりがおこったりする。
バレエの「パ・ド・ドゥ」に通じるものがあるように思います。

日本の「歌舞伎」でも、登場人物の見せ場、感情を描くのに
すごく長い台詞を語ったりする。

でも、今よく見られるテレビドラマや漫画では、一定以上長い台詞は、まずないです。
小説にして5〜6ページにも及ぶ語りは、本当に少ないと思います。
感覚が、「コマ」で進むからだと思います。
つまり、場面転換がはやく、テンポもはやく、
次々と新しい刺激が入るようになっているのです。
漫画のコマ割りをしたことがあるのですが(笑)
いかに変化をつけるかが重要だと教わりました。
場面をアップにしたり、ロングにしたり、回転させたりし、
その中で心理描写を行うのです。
そして、なるべく短い言葉で、端的に適確に表現することが求められるように
思います。

クラッシックといわれる演劇や舞台(オペラ、バレエ、歌舞伎など)と
テレビドラマや漫才、漫画では、見せ方、見せ場の作り方が
相当違うのだな、と。

この感覚の違いが、たとえばロシア文学が読みにくいとか
オペラがとっつきにくいとか
そう言われる一つの原因になっているのかもしれないなと思いました。

そういえば、オペラもアリアになると寝ちゃうとか
バレエはパ・ド・ドゥが眠いのよね、とか
よく聴きますものね。

現代というのは、本当にテンポが速いのだなあと
思ったのでした。

……、まあ、ゆっくりしてるんだろうな…自分は………。
時代に取り残されているのかもしれません。