紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

四十九日

今日は、母の忌明けの法要でした。
自宅で行うため、朝からお供えの御飯を作りました。

母の葬儀が終わってから、今日まで、
母の陰膳を毎日お供えするのが日課でした。

先祖代々伝わる揃いの膳に、御飯、汁物、香の物、炊き合わせ、おひたし
と、日々の膳を準備します。

さすがに、毎日はきついなあ、と思ったりしたこともありました。
でも、そのお膳を作るのも、今朝が最後なのかと思うと、
胸にこみ上げるものがありました。

炊き立ての白い御飯を、膳によそった時
ふいに涙がこみ上げました。

母が亡くなり、自宅に帰ってきた夜、まっさきにしたのが
白い御飯を炊くことでした。
枕経を読んでいただくために
母が使っていたお茶碗に、白い御飯を大盛りにして、お供えをするのです。

母が自宅に帰ってこられたのは、深夜12時ごろでした。
あわててお米を研いで、お米を焚いて
母のために布団を準備して。

何が何やら、何をしたらよいのか、何もかもわからないままに
右往左往しながら、準備をしていたのを思い出しました。

まだ、寒い季節でした。
あれから、すっかり季節も移り変わり
気付けば、初夏の気配です。

今朝は、母が亡くなる前に植えた、さやえんどうを、庭の小さな畑から取ってきました。
母と一緒に植えた、玉ねぎも準備しました。

さやえんどうを茹で、玉ねぎのお汁を作り。

ねえ、お母さん。あの時まだ苗だったさやえんどうも、玉ねぎも、
もうこうやって食べることができるのだよ。
さやえんどうの苗が、ずいぶん虫に食べられてしまって
お母さん、心配していたね。
でも、残った苗が、こうして、今年の春も
たくさん実ったのだよ。

そんな想いをこめて、膳を準備しました。

朝のひと時、膳を備え、お水を備え、
ろうそくの明かりをともし、
御線香をたきました。

ふと思いました。

愛する人のために、何かすることがあるというのは、
それだけで、幸せなのだと。

愛する人のために、何かをすることは
何もかえってこなくても
相手がたとえ亡き人であっても
その行為そのものが、慰めになるのだと。