紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

以前、「人間の分際」に掲載されていた詩がよかったと書きました。
今日、整理整頓しておりましたら、本が出てきたので。

ニューヨーク大学の中にある、或るリハビリテーション研究所の壁に書かれている詩で、一人の患者さんが作られたそうです。
人々は「病者の祈り」と呼んでいるそうです。

はじめてこの詩と出会ったとき
胸を突かれました。

自分は、もしも健康で、ずっと仕事をすることが可能だったとしたら
今よりも、もっと傲慢だったかもしれないと、思うことがあります。

病になり、きついなと思うのは
病そのもの以上に
病とその症状のために、今まで普通にできていたことが、できなくなったり
(例えば、今だと、渋滞があると予想されるところには、
 車で出かけることは、不可能になっています)
どうしても、いろんな方に迷惑をかけてしまったり
(子供の卒業式に参列させていただくために、途中で水を飲むことと、トイレに立たせていただくことを
 許可していただきました)
そんなことです。
その代わり、前よりもずっと、人の心のやさしさ、暖かさ、思いやりが
身に沁みて、ありがたいです。


思うように動かない身体に、いらだつときもあります。
(いつでもじゃないけど、たまにね)
だから。
いつでも、思い出せるように、ここに書き留めます。



「大事をなそうとして
  力を与えてほしいと神に求めたのに
 慎み深く従順であるようにと
  弱さを授かった
 より偉大なことができるように
  健康を求めたのに
 より良きことができるようにと
  病弱を与えられた
 幸せになろうとして
  富を求めたのに
 賢明であるようにと
  貧困を授かった
 世の人々の称賛を得ようとして
権力を求めたのに
 神の前にひざまずくようにと
  弱さを授かった
 人生を享受しようと 
  あらゆるものを求めたのに
 あらゆることを喜べるようにと
  いのちを授かった
 求めたものは
  ひとつとして与えられなかったが
  願いはすべて聞きとどけられた
 神のみこころに添わぬ者であるにも
  かかわらず
 心の中の言い表せない祈りは
  すべてかなえられた
 私はあらゆる人の中で
  最も豊かに祝福されたのだ」