紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

「チャイコフスキーコンクール」

中村紘子さんの書かれた「チャイコフスキーコンクール」を読んだ。
コンクールの内側を書かれた、とても面白い本だったのですが
ひとつ、とても気になる文章があった。

「もし日本人がクラシック音楽の鑑賞者として一流になれば
 それが新しい作曲家はもとより演奏家を生み育てるための
 豊かな母胎ともならぬはずがない」

これを読みながら、激しく思ったのは
「一流のクラッシック音楽の鑑賞者」とは何か、ということだ。

日本には、一流と言われるクラッシック音楽家が、本当に多く来日する。

この秋、9.10月だけでも
私一人がぽつぽつと、地方都市に居ながらにして
トリフォノフブレハッチ、ティベルギアン、ネルセシアンと
世界の有名なピアニストのリサイタルを聴くことができた。

しかし、有名なピアニストの演奏を聴いたからといって
一流のクラシック音楽の鑑賞者になれる気がしない。

地方オケの定期会員にもなっているけれど
海外オケを聴きにいったりもしているけれど

やっぱり一流のクラシック音楽の鑑賞者にはなれる気がしない。

実は、鑑賞者として、とにかく「わからない」と感じることがある。
つまり
クラッシック音楽で、素晴らしいとされる演奏とは、いったい何なのか?

という、もう、超基本のところが、だんだん「わからなく」なってきているのだ。

いやもう、そこわからないなら、聴いてる意味ないでしょ?とか
言われそうなのですが(笑)。本当、私も最近そう思うわ(;^_^A


音楽を聴いて、感動すればいいのよ。

というのは、違うかもしれない。

感動、というだけであれば、
小さな子供が、たどたどしくも、最後まで頑張って演奏する
ピアノの発表会でも、感動するからだ。

まあ、あんなに頑張って。

と、感動することもある。

それは、音楽とは別のところにある感動だ。

では、音楽を聴くために、学べばいいのか?
楽典を学び、様々な音楽の背景にあるものを学び、
楽譜を読み込み、
和声の移り変わりを知り、

例えばバッハをどのように弾いたらよいかを理解し
ベートーヴェンショパンのフォルテやルバートの違いを理解し、
ピアニッシモの特徴を聴き分け、

その、技術的な様々な要素を聴き、
卓越した技能を感じる能力を身に着けることが
「一流の鑑賞者」なのだろうか。

このピアニストは、先生はだれだれで、思想として、
ショパンなどはこのように解釈しているだろうから
などと考えながら聴くことが「一流の鑑賞者」なのだろうか。

それは、一つの道であるようにも思うけれど、
もしも、クラシック鑑賞にはそれが必要だとするならば
音楽を聴くとはいったい何だっただろう?と思わずにいられない。

とにかく、何を聴いても
「ブラボー」とほめたたえるのも、違うと思う。

かといって、何を聴いても冷めた目で
あそこをミスしたとか、
ベートーヴェンの弾き方は、ああではないと思うとか
そういったことを言うのも、何か違うように思う。

クラシック音楽は、最近教養としての必修科目では
なくなってきたように思う。
私たちよりも上の世代には
教養として、クラシック音楽を聴かなければとか
そういった風潮がどこかにあったように思う。

しかし、共働き世代でいろんな意味で余裕がない私たち世代は
よほど「好きな人」しかクラシック音楽を聴いたりしないのではないだろうか。
教養として聴きにいきはしないのではないだろうか。

それはつまり、クラシック音楽を聴く人たちの人口が
ぐっと減ることを意味するのではないかと思う。

さらに、現代は、ピアノなど楽器をならう子供たちの数も
とても減ってきているのが現状だと思う。

子供にピアノを習わせるくらいなら英会話を習わせたい親は
たくさんいると思う。

たぶん、クラシックを聴きに行く人口そのものが
日本では減少してゆくだろうと思う。

その中で、日本のクラシックの興行はどうなるのだろう?
海外からの演奏者をいつまで呼べるのだろう?

そんな状況で
さて「一流の鑑賞者」とは何であろう?????


論点がずれてしまった。



とにかく、今、「一流の鑑賞者」というのが、よくわからない。

それでも、できればより良い聴き手になりたいとは思う。

ちなみに。


少し前に
ブレハッチ氏の演奏を聴きにいった時に
まだ演奏者が舞台にいるのに、
アンコールを弾こうとされているその時に
多くの人々が席を立ち、会場を後にして行ったのを
私は後ろのほうで、呆然と見ていた。
舞台の上で、ブレハッチ氏が
なんとも言えない表情をうかべながら
ぞろぞろと、扉へと向かってゆく人々を見ているのを
私は見ていた。

席を立った彼らは
何故あの日、席を立ったのだろう?
演奏が気に入らなかったのか?
(私には、素晴らしい演奏と思われた)
帰りの電車の都合か?
(休日の昼間の公演なのに?)

私には、ただ、帰宅の混雑を避けるためか、
教養のためにセット券を買って聴いていたが
演奏後の長い拍手に付き合うほど暇でないと思ったか
そんなところのように思われた。

その直後、ブレハッチ氏が急病になり
東京公演がなくなってしまっただけに
あの日の公演で
舞台の上で、呆然と
席を立ち、ぞろぞろと扉へと向かう十人以上、
いやもっとたくさんいらっしゃったかな?の
観客たちを見つめる
ブレハッチ氏の表情が
今でも忘れられない。

「一流の鑑賞者」とは何かを考える時に
この時の、観客たちの姿も、考えずにはいられない。