紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

「死」について今思うこと。

何を書きだしたかと思えば(笑)

トルストイの小説「戦争と平和」もだんだん終わりが近づいてきました。
たくさんの死も、ともに見せてくれながら。

ドストエフスキーの小説は、本当に、心の深いところに、とげみたいに刺さって、心の底の蓋をこじ開けて、さらにその向こうまで届くようなのですが
トルストイの小説は、心に浮かぶ、おりおりの気持ちを丁寧にすくいとって、
言葉にして描き出してくれる。言葉にならない言葉までも、言葉を用いながら言葉にせずに表現される。(意味わかります?(笑))
そんなことを思います。

どちらが好きとも言えないし、どちらも、とても素晴らしいと思うのですが。

「死」について、トルストイの描く文章は、本当に、なんというのかな、
たくさんの「死」を通して、考えさせられうことが多いです。

少し前に、「世界の哲学者に人生相談」というNHKの番組をふと見ました。
「死」とは、本当に、人にとっても、大きなテーマなのだと思うのです。

「死」は、自分の死と、愛する人の死と
ちょっと分けて考えてもいいのかもしれないですが、
今回は、とりあえず、自分の死ということで考えることにします。

NHKの番組を見ていたら、自分の死を「怖い」と考えることは
やはり多くあるのかなと。番組では、そうではないという意見も
ありましたが。

自分の死をどう思うのか。

本当に、それはいろいろだと思うのです。

恐怖を感じる人もいれば、あまり感じない人もいる。
場合によっても、たぶんそう。

死とは、何か、本当にその明確な答えはなくて。
死んだ人が生きていない以上、もうそれは仕方のないことで。

死は、やはり基本的に、どこか怖いのだと思うのです。
自殺しようとした人が、実際死にかけると
「死にたくない」と言ってもがくのは、よくある話です。
(精神科勤務だったので、そのあたりは、もう、あのいろいろ…ね(;^_^A)

さて、トルストイの「戦争と平和」に
プラトンという、とても印象的な人が出てきます。
この小説は、ロシアとフランスの戦争(ナポレオンがロシアに攻め入った時の)
が描かれています。
その中で、プラトンは、ロシアの捕虜として、フランスにつかまっており、
病をかかえながら、フランス軍がフランスに逃走するときに
捕虜として連行されてゆくのですが。

死について、こんなことを話します。

ロシアでよく話される小話として、彼が話す中に出てくる言葉です。

「わしらはみんな神さまに罪がある。わしも自分の罪のために苦しんどるんじゃ」そして、「死」を、「神さまに赦される」と言うのです。

若い頃に読んだとしたら、たぶん、「ふ〜ん?」だけだった、ちいさなちいさなエピソードなのでしょうけれど。

年を重ねてゆくと、
哀しみとか、後悔とか、人には言えない罪とか
罪人とまではいかなくても
日常にある、小さな心の澱が
ひとつひとつ積み重なってきて、
命が、だんだん重くなるように感じることがあります。

深い哀しみは、消えることなどないし、
心に刻まれた傷も、抱えてゆくしかない。

顔にしわが刻み込まれてゆくように
心にも、傷が刻み込まれてゆく。
罪が刻み込まれてゆく。
そんなイメージがあります。

だからこそ、なのでしょうか。

「死は神の赦し」と言われると
深いところで、変に納得できてしまいます。

若い頃は、死が何かも、いえ、生が何であるかも
あまり実感がなかったように思います。

病院につとめ、いくつものいくつもの病と死
たくさんの、心通わせた人達が、亡くなってゆくのを見つめ続け

両親を亡くし、義理兄を亡くし、友人を亡くし、
大切な人々の死を見つめ
自分の身体にある病の変化を、
日々感じる中で

命が重くなるにつれ、少しずつ、死が軽くなるような
そんな感覚に襲われるようになってきました。

実験心理学を学んだ者として
軽々しく魂という言葉を使うことには、若干の抵抗はあるのですが

人に魂というものが存在するのならば
魂はいつでも、飛びたがっているんじゃないかと思うことがあるのです。
いつでも、幸福をめざして、明るいところをめざして、飛びたがるのが
人の魂なのではないかと、思うことがあるのです。

だからこそ、重くなった命を背負い
病で、命が、身体が、どんどん重くなってゆくと
魂は、もっともっと明るいところ、幸福なところを目指して飛び上がりたいと願うのではないかと。

それを、、赦されるのが、「死」なのかもしれないと。


肉体の「死」は確かに恐怖だと思うけれど。
肉体は、いつだって、継続していたいと願うから
それが断ち切られることへの恐怖は、本当に強いと思うけれど

でも、ふと、こんなことを、考えてしまったという、メモ的なものでありました。