紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

「愛」について今思うこと。

「死」の次は「愛」かよ(笑)と
我ながら突っ込みを入れてしまうのですが。

我が家には、二匹の猫がいます。
どちらも雄猫です。
どちらも、ものすごい甘えっこです。

一日に一度は、どちらのネコも「かわいがって」とアピールしてきて
膝にのったり、おなかの上にのってきたりして
たっぷり甘えます。

たっぷり満足するまで甘えると、
本当に優しい顔になって、また離れてゆきます。

猫たちを見ていると、愛されることって、こんなにも満たされるのかなあと
思わずにいられません。
それと同時に、愛は、こうして
共にぬくもりを共有して、育ててゆくものなのかなあとも
思わずにいられません。

こうして甘えてくる猫たちが、可愛くて仕方ないし
愛しくて仕方ない。
ほんわりと、まあるい愛のカタチを感じます。


とてもとても離れていても、
普段連絡も取らないけれど
大好きな友達がいます。

私は、彼女達を、たぶん、本当に心の底から信頼しているし
彼女達を悲しませたくないので、きっちり生きようと思っている。

でももし、自分がきっちり生きられなくなって
もしも犯罪を犯したり、人を殺めることになってしまったとしても
彼女達だけは絶対に
私を信じてくれて、そして、事情を聞いて、警察に連れていってくれると思う。

猫のように、くっついて育てる愛ではないけれど
心に彼女達の存在がきちんとあって
いつでもあって
自分の心の一部で
彼女達が輝いてくれている愛なのです。

彼女達に出会う前の私は
「誰のことも信じていないよね?」とか
「冗談とか言ったら、鼻で笑われそう」とか
「怖そう」とか
そんなこと言われる人でした。

でも彼女達に出会って
彼女達が
「悲しかったら、泣いていいんだよ」って言ってくれて
「楽しかったら、笑っていいんだよ」って言ってくれて
一緒に朝までお酒飲みながら話をするようになって
世界が自分にとって、すごく優しくなった。

彼女達が、そっと抱きしめてくれた。
大丈夫だよ。私たちがいるよと、言ってくれた。

たくさんの時間をかけて、信じることを教えてくれた。

う〜ん。もしかして、愛とは、信じる事なのかもしれない。

この人は大丈夫って。

でも。

会っても話すこともできないけれど
それでもやっぱり愛している人もいます。

その人も心に住んでいて
その人の存在に支えられている。
一方的な愛で自己満足なんだろうけれど。

そんな愛もある。

愛かどうかもわからないけれど
でもやっぱり愛だなあと思う愛もある。

子供への愛は、もうちょっと複雑で。
すごく大切で、もしかしたら、自分の命よりも子供は大切で。
何よりも大好きで愛おしい。
とにかくものすごく強く愛している。
でも。
子供は離れてゆくものだと思って
子供が自分を必要としなくても
一人で生きてゆけるように
突き放したり、
抱きしめたり
繰り返しながら
それでも、自立できるように
離れていられるように
子供に接している。

でもある時子供に聞いてみた。

「あなた、親に愛されてると思っている?」
ストレートだ(笑)

子供は
「むっちゃ愛されてるわ。それだけは自信ある。
 お母さん、私のこと、むっちゃ好きでしょ」と
にこにこ笑いながら答えていた。

そうか。伝わっていたか。
子供の時は、毎日、ぎゅ〜ぎゅ〜抱きしめていたし
「好きだ〜」と伝えまくっていたものね。

それでも、好きだから、
大きくなってきた今、手放そうとしている。

愛しているから、手放す。不思議な愛。






死はいつだって明確だけれど
やっぱり愛は難しい。

愛のほうが、手に触れて知っている気がするのに、
あまりにも形もあり方も違うのだものね。