紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

名古屋国際音楽祭 牛田さんのピアノ

昨夜行ってきました。

プレトニョフ氏、ロシアナショナル管弦楽団
そして、牛田さんの、チャイコフスキー1番のコンチェルト

一晩眠れませんでした。
ずっと音が聴こえているの。
暑いってのもありましたけれど
ずっとずっと、聴こえてくる
何度も繰り返されるチャイコフスキーピアノコンチェルト1番。
派手な曲なだけに、眠れません(^_^;)

衝撃のピアノでした。

昨夜は、牛田さん、本当に凄かったです。
これ、聴けてよかった。

ええと、こちらむけ感想なので
また変な感想ですよ(笑)

ロシア曲だから
この引用はどうかと思うのですが。

ヘルマンヘッセの「デミアン」という小説があります。
この中で、こんなやりとりがあるんです。
主人公と音楽家の会話です。

「そうか、きみは音楽のファンなのかい。音楽に夢中になるなんて、やりきれないことだ、とわたしは思うがね」
「ぼくはもう何べんも、あなたの演奏を聞きました。
(中略)
「音楽を聞くのが好きなんです。でも、あなたが演奏なさるようなのだけです。まったく絶対的な音楽、それを聞いていると、そこで人間が天国と地獄をゆすぶっているのが、感じられるような、そういう音楽ですよ。音楽をぼくはとても愛していますが、それは音楽には、道徳的なところが非常にすくないからだと思います。ほかのものは、みんな道徳的ですよ。そしてぼくは、そうでないものを、探しているんです。道徳的なもののために、いつも苦しんでばかりいましたからね」(後略)

「神でもあり、同時に悪魔でもある。明るい世界と暗い世界を、一身に宿している」

牛田さんの音楽を聴いていて
上記の言葉を思い出すことがあります。

光であり闇である。
天使であり悪魔である。

そんな絶対的な音楽。

それが、牛田さんの音楽に対する印象でした。

昨夜は、その感覚を、強く、強く感じました。

昨夜書いて、一度削除した感想の一部を
こちらに貼り付けておきます(^_^;)
(いや、だって、あちら最近閲覧数多くて。
 こんな生のままの感想、恥ずかしいですわ〜〜
 ひっそりこっちに移転)


これが、彼のチャイコフスキーの1番なのだと思いました。
これが、彼の魂が奏でる、チャイコフスキーの1番なのだと思いました。

オーケストラと音が馴染み
音と音が共鳴しあい
ピアノの音が、どこまでも、どこまでも伸びてゆくのに
心の底をえぐるようで

気づいたら、両手を祈るように組み
涙がありました。

どうして、そう感じたのかわかりません。
ただの個人的感想と、読み飛ばしてください。

まるで、鎮魂の曲のように、思いました。
天につながる音であるようにも、思いました。

深い、深い、哀しみを知るから
笑顔がまぶしいような

心の、一番深い、一番やわらかいところを
誰にも触れることを許さないところまで
音が忍びより
揺すぶられたようで。

怒りであり、恐怖であり、喜びであり
哀しみであり、幸せであり
全てが、あぶりだされるようで。

素晴らしかった。

渾身の演奏。

もうこれは、言葉を超えた、音楽だけがたどり着けるところに
あるものなのだと思います。

今、自分に可能な、最大の賛辞を贈ります。