紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

ゲーテ ファウスト

ゲーテ ファウストを読み終わりました。
以下ネタバレばかりです(^_^;)




グレートヒェンの悲劇で幕を閉じた一部に続く
第二部「悲劇」

ドタバタ騒ぎのような皇帝や古代のワルブルギスの夜の混沌。
古代のギリシアの神々とのドタバタ、ヘレネーとファウストの恋。

メフィストフェーレスとは、「欲望を叶える力を持つもの」であり
人間であるファウスト達こそが
常に餓え、足ることを知らず、満ちたりようと、
どこまでも転がり続けるものであるように思えた。

混沌とした神々たちの世界にあっても
人の欲望と、かぎりない不満は
どこへ進むともわからない、人の生きざまそのもののようで
いつ果てるとも知れない、この長さが
これこそが、第二部の題名にある「悲劇」そのものなのではないかとさえ
思えてきた。

そして、ファウストの悲劇とは、グレートヒェンとの間の恋でなく
メフィストフェーレスによって、次々と(不正な方法でさえも)
欲望が叶えられてしまう「悲劇」なのではないかと
思えてしまった。

また、違う時に読めば、違う感想になるのかもしれないけれど。

メフィストの言うところの
「どんな快楽にも飽き足らず、どんな幸福にも満足せず 
 移り変わるもろもろの姿を追って人生を駆け抜けた」
ファウストが、
開拓事業の中、人々がまめやかに歳月を送り迎え、自由な土地で、自由な民と共に生き
己の生活の痕跡が、幾代を経ても滅びない
そう思った瞬間に
ついに「満足」を知ったことが、たまらない想いを胸に投げかけてきた。

己の快楽、己の幸福に、
人はもしかしたら、究極、満足しないものなのかもしれない。

満ちたりるとは
あの時、ファウストが見たものとは
本当には何だったのか。

人のために尽くすことこそが、満足だと言うことはできるかもしれないけれど。
何故か、そんな単純なものではないようにも思えてくる。


実は、いまだ、実感としては、
ファウストの「満足」を理解していないのだと思う。

人は心に
満ちることを知らぬファウスト
悪をしてでも、願いを叶えようとするメフィストフェーレスの
どちらをも、抱えているのだろう。

そして同時に、
人を愛する心を持つのだろう。

愛とは何か?

それに答えを出すことなどできないけれど。

最後にファウストを迎えに来た
グレートヒェンに、たまらない胸の痛みと
深い、深い感動を覚えた。

愛は死によっても、滅びることがなかったのか。
あのような死を超えてさえも、さらに
愛がそこに、あることに、
痛みさえ覚える感動を胸に抱いた。

まとまらない感想になってしまったけれど。



ファウストを読み切った感想を
まだ、生のまま言葉のまま、ここに記します。