紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

明日はどこからはじまる?

「明日って、一日のどこからだと思いますか?」
と聞くと、何を言っているんだと思われるかもしれません。
でも、この質問、意外と人によって感覚が違う気がします。

某友人は「朝が来たら」と答えました。
深夜1時2時はまだ起きているので、その日の続きのような気がするというのです。
一度眠って、朝が来たら「明日」なのだそうです。
こういう感覚の人、けっこう多いような気がします。
最近、深夜の番組でも、25時とか26時って書いてあったりしますものね?

ウチの娘は、変わっています。
「学校に着いたら明日」なんだそうです。
つまり、朝食を食べながら
「明日学校で英語の小テストがあるんだけど」なんて話している時は
「この後学校に着いたら、英語の小テストがある」という意味なんです。
それ、絶対にふつうと違うし、誤解を招くよ、とは伝えてありますが
なかなか直りません(>_<)
じゃあ、学校のない日はどうするんだというと
それは「朝食を食べたら」なんだそうです^^;
いいかげんだなあ。
朝食を食べなかったら、いつまでも新しい日は来ないのね…。

「午前0時から」
と答える人も、けっこういるのではないでしょうか?私はこちらの感覚です。

理由もあるんですよ?

「全ては、闇の中で生まれる」と思っているからです。

実家に畑があったからでしょうか?
種をまいて芽が出るまで。命はこの土の中で生まれるのだという感覚が
ものすごく強くあります。
暗い土の下で、種から小さな命が生まれて、根が出て、芽が土を退けて
闇の中で少しづつ大きくなって、やっと大地の上に出てくる。
芽が出たのが命の始まりじゃなくて
種から何かが生まれた瞬間が命の始まり。
そんな感覚。

赤ちゃんも、生まれてくる前に、お母さんのおなかの中で命が始まる。

なんだろう?
人の目に触れる前に、太陽の下に出てくる前に
命は始まって、少しづつ大きくなって、そして出てくるんだという感覚があるんです。

だから一年の始まりも、冬の闇の中。
一番寒い時、夜の長い時に始まって、だんだん明るくなって、春を迎える。

だから、一日の始まりも、闇の中。
闇が深くなる午前0時。
そこから、刻々と時を刻んで、その日が大きくなってやっと日の出を迎える。

それと同じなのか、目に触れるすべては
目に触れるその前にすでに生まれて、はじまっているのかもしれないという感覚があります。
見えるようになった時には、もう、ある程度の時が過ぎたところ、みたいな。

そんなわけで。

明日は闇の中、午前0時にはじまる。