紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

生きる道しるべを教えてくださった先生

思い出の先生、といったら、普通は学校やお稽古の先生なのかなと思います。
でも、先生、と聴いてまっさきに思い出すのは、
就職先の大先輩である「先生」です。

私が尊敬する人であり
人生の「師匠」であり
とても大切な言葉をくださった方で
「恩師」だと思っています。

就職した病院が「精神病院」で
なおかつ、かなり重度な方がたくさんいらっしゃるところだったこともあり
とまどうことが、とても多くありました。
幻聴のある方、さまざまな精神症状を訴えられる方
そんな方々に囲まれて右往左往していました。
正直に言えば、どうしていいのかわからなかったのです。

はじめての閉鎖病棟
重い扉を、大きなカギで開けて入ると
いきなり患者さんたちに囲まれました。
新しい人がめずらしかったのですよね。
でも、はじめはそれがわからなくて。
「僕は神です」とか
「電波があなたと話せと言っています」とか
いろいろ話しかけられて、どうしたらいいんだ〜〜
どう接していいのか〜〜となってしまっていました。

それを教えてくださったのが、恩師である心理の先生でした。

「どんな人も、決して100パーセントの狂気はありえない
 そして、その逆もそうなのよ」
「闇の中にいる人にとって、太陽はまぶしすぎるのかもしれないわね。
 小さな灯りでいいの。いいえ。小さな灯りがいい。
 月のような光。
 それは、昼間の太陽の下では、あるかないかわからない光なのでしょうね。
 昼行燈と呼ばれる人でいいの。
 でも、昏い闇の中ではその灯りこそが
 生きる標になる」
「正しいだけでは、本当は正しくないの。正しいことは時に人を追い詰めるのよ。
 逃げることだって、時には必要なのよ。
 まず、生きること」

そんなことを、仕事に疲れ切って
ぼろぼろになって、泣きたくて、苦しくて
自分の無力さに打ちのめされていた時に
温かいコーヒーを淹れて
そっとカップを差し出してくれながら
少しづつ、教えてくださいました。

恩師からもらった、こんなたくさんの言葉は
私の生きる指標となり、人生の道しるべとなりました。


人間、この非人間的なもの (ちくま文庫)

人間、この非人間的なもの (ちくま文庫)

なだいなだ さんの著作に出会わなかったら
精神科に興味を持つこともなく
恩師に逢うこともなかったかもしれません。
なだいなださんのPNは、スペイン語の "nada y nada"(何もなくて、何もない)に由来するそうです。