紅茶片手に読書している。そして音楽を聴きながら

本の感想、コンサート記録など書いています。

音楽を聴くということ

音楽を聴くって何だろうと、
また、馬鹿のように考えていました。

今回は、生の音楽に限って考えるとします。
録音を聴くのは、また別だと思うので。

どうして、生の音楽を聴きに行きたいと思うのか。


ところで、人はなぜ「おしゃべり」をするのか?という授業を
以前に受けたことがあります。
情報伝達のため?
情報確認のため?
ヒトが「おしゃべり」をする大きな目的のひとつは
感情の共有であり、共感であるのだそうです。

これは、通常ではあまり意識されないのかもしれませんが
リハビリで、言語障害の方々とお付き合いさせていただく中で
確かに実感をしました。

「おしゃべり」の意味や深さだけが問題なのではなく。
話して、聴いて、聴いて、話して
その中で、自分の感情を伝え、なんとなくその雰囲気を共有して。
有意義でなくても。
ただ共に、話をする。
そのこと、そのもののもつ重要性は
人が「生きる力」に直結する。
そう感じることがあります。


音楽を聴きに行くのには、
どこかそれと似たものがあると、
最近思うようになりました。

音楽を聴くというのは
案外一方通行ではないのではないかと思っています。

舞台で演奏される方と
聴く聴衆のコミュニケーションみたいなものが
確かにある。

音楽は一種のコミュニケーション。

共感であり、共有。

聴衆は、ちょっと無責任だから
ちょっとフェアじゃないかもしれないけれど。


共感できて、共有できるときは
とても幸せだったりする。

でも、場合によっては、共感できなくて
共有もできなくて
会場の中で、聴衆として、ポツンと、
すごい孤独を味わっていることもある。
そんなこともあるのも事実。

でも、それだけじゃなくて、もう一つたぶん理由がある。
う〜ん、この曲が好きとか、想い出とか
こんがらがった感情がいろいろあって
理由はもっとあると思うけれど、とりあえず、もう一つ。

「美しいものに触れたいという本能」

人間には、絶対に、そんな本能があるんだと思う。
月を見て、きれいだと思ったり、
夕焼けが、胸に迫ったり、
花に慰められたり

美しいと感じる心は、たぶん、どうしても人にとって必要だからあるのだと
思うし。
それは、とても大事なものだと思う。
すごく、追い詰められているときに
ふと見上げた空の月がきれいだったとか。
どろどろに疲れて帰ってきたときに
小さな花が咲いていたとか。
そんな「美しい」は、絶対に必要なのだと思う。


この場合、何を美と思うかは、また定義が難しいので
とりあえず、美しいと思うものを、美しいとするとして(←本当はこの定義って大事なんだけれど、考え出すと長いから、今はとりあえず。笑)

音楽は、やっぱり、美しいのだと思う。

美しいものに触れたいから、音楽を聴くのだと思う。


自分の中には、だから、どうしてもこの二つのファクターがあって

「共有と共感をしたい気持ち」
「美しいものに触れたい気持ち」

があって、音楽を聴きに行くのだと思う。

共有、共感できない時でも
美しいなあと思うことはあるし、

美しいと思えなくても、
共有、共感できることもある。

美しいとも思えなくて、共有も共感もできないときは
帰りたくなる(ごめんなさい)

でも、美しいと思って、心から共感できて、
この時間を音楽を、空間を、共有できることを
心から感謝して
そんな時は、本当に宝物の時間になる。

そんな時は、本当に音楽はすごいと思う。
そして、音楽家は本当にすごいと思う。

涙が出るほど。
たくさん感謝する。

ありがとう、これで、また、
次に進めますって。


深夜のぐだべり。すみませんでした。

誤字脱字その他いろいろ、朝少し修正しました。